2006年11月21日

_プログラムを公開するということ

先日、初めて自分で作ったアプリケーションをWebで公開しました。

既存の技術に簡単な工夫を加えただけのプログラムなんだけど、
一般の人に出来るかといえばそうではない。そんな存在。

USB通信とオーディオ再生という機能。
マイクロソフトが用意してくれたUSB通信の土台とオーディオ再生の土台が無ければ、このようなことは出来なかったわけで、その土台の部分たるや、自分は何も理解してはいないに等しい。

基礎をしらなくても応用だけができる。
数学でいえば定理を証明することは出来ないが、問題は解けるというそんなところだ。

果たしてこれでいいのだろうか?
しかし、数学でいうところの定理の証明は、あらゆる分野でチャレンジがされていて、今でもその勉強をしようと思えば簡単だ。義務教育でさえいくつかは教えてもらえる。一方、USB通信とオーディオ再生の土台となる技術は誰が教えてくれるわけでもないし、こんなに広いインターネットを駆け巡ったとしても手に出来る情報は少ない。頭のいい人なら、自らの力で証明できるかもしれないけど、自分には無理だ。

虚しい。

その一方で、土台とやらを何も理解しないで問題だけを解いた答え、つまりプログラムを公開したわけだけども、そんなものでも誰かの役には立つ。プログラムの世界では土台を理解するということは必要とされていないのだろうか?

疑問だ。

問題を全ての本質から解決する能力が厳かになっているにもかかわらず、それに満足しているというのは危険なのか?ゆとり教育?

皮肉にも自分の生まれた年からゆとり教育の土台となるものが策定されているらしく、自分はそのゆとり教育の初期時代を生きたということなんでしょうか?もちろん、自分よりもっと勉強した人はいて、ゆとりから脱却した人も多いのでしょう。自分も、もっと勉強したい。

希望だ。

誰からも教えてもらえないことほど虚しいものは無い。教育は全ての人に必要ではないかも知れないが、貴重だ。貴重な体験だ。今にして思えばそう思う。

まだ、諦めてはいけない。

まだ、勉強できる。まだまだチャンスはある。

人は人を教えるということ、人は人から教わるということ。大事なんじゃないかと思う。
思いを伝えるということは必要なのかもしれない。良くも悪くも、このインターネットでは、それは簡単だ。しかし伝えるということは難しい。人が人を教えるということは難しい。
なにせ、自信を持って、人を教えるということは、その道を理解していないといけないと思ってしまうし、閉じこもりがちだ。

こうして、プロプライエタリなプログラムが一つ生まれてしまうわけである。許して欲しい。
自分は、中途半端だ。自分が伝えるべきこともあるだろうし、教わらなければならないことも多い。実に中途半端だ。今回作ったプログラムも真似をしてはいけないような部分もいくつかあると思う。インターネットにそれを無責任に垂れ流すことはできない。悪影響を与えるプログラムはあまりにも危険だ。今度、時間があったら、自分が理解したことの片鱗を解説したいと思う。

今度(便利な言葉だ)。

自分の知っていることをなんでも教えなきゃいけないという義務がないだけに希薄になりがちだ。勉強できるということは実にありがたいことだと感じる。学ぶべき教材があるということは素晴らしい。先生という存在を大事にしなければならないだろう。その一方で、先生と呼ばれる存在になるならば、やはり正しいことを教えることのできる素質が求められるだろう。どちらも互いに譲らず、尊重し、基調しあわなければならない。

教育は大事だ。

互いが理解すれば、自殺したくなるほどの「いじめ」なんてなくなる。
でも「いじめ」そのものはなくならない。おおかれ少なかれ、人が人を責めるということはあるし、集中してしまうことはあるかもしれない。それを「いじめ」と感じるものもいれば、意思疎通の一種だとかなんだとか感じるものもいる。ましてや「子供」にはその一線を感じとることも難しいし、制御することも難しい。人が人を傷つけることで成長するということもある。「いじめ」自体がよい反動になるし、競争主義社会とか資本主義社会というものはそういう性質を持っている。「いじめ」そのものがなくなることは難しい。もちろん「いじめ」が存在しないことが最重要ではあるが、どこかで「いじめ」は常に発生するものであり、「いじめ」は常に解決していく存在であるべきだ。発生から解決にいたる期間や周期を短くすること、程度を軽減させることで、「いじめ」は乗り越えていける可能性が高くなると思う。あらゆる問題を乗り越える知恵が必要となる。自分で解決できないときほど早急な助けを呼ぶ必要があるのだから、互いが人を思いやり、人を思いやれない部分があるという現実を知り、助けを求めねばならないし、知恵を出し、助け合わなければならない。生きていくことの難しさを理解しなければならないし、生きていく価値を見出さねばならない。「いじめ」はなくならないが、自分はそこで手を打つしかないと思う。


という偉そうな論調の文を書き忘れた芸術の秋も終わりです。
本日のテーマは
プログラムと勉強と教育と社会問題でした。

投稿者-> yo-net at 09:06 | コメント (0) | トラックバック(0)
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