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==='''概要'''=== アナログテレビの電波帯域を有効利用するべくデジタルテレビへと移行したものの、これといって有効利用したような感じは実感していない今日この頃、テレビを見る若者も減っているという噂。ネットは広大だ。それで、デジタルテレビ切り替え特需に沸いた日本の電気機器メーカーの作ったガラパゴスデジタルテレビとアジア圏の格安デジタルテレビ。 プロテクトもかなり厳しくなって、個人利用にも不便な仕組みになっている。ダビング10やら、コピー禁止、コピーワンスという専門用語も耳にされた人は多い事でしょう。悪い子とするやつがいるからできた仕組みでもあり、権利者たちの強欲さによってもささえられている技術なのだと思う。このプロテクトのおかげで、利用用途に応じて同じコンテンツを何回も買ったり、長時間かけてアナログ・デジタル録音録画をするという猛者が登場したり、いくらかの日本人の貴重な人生の時間を搾取してきた部分もあるのではないだろうか?まぁそれは、それぞれが好き好んで失った時間だとも言えるので、たいしたことではない。もっと日本は発展していたかもしれないのになんとも残念な世の中になってしまったと感じる。だからといって、具体的にこういう権利構造にすれば、あっちもこっちも潤ったのにという明確な提案ができるわけでもないので偉そうなことをのたまうこともできませんが、録画媒体のあれこれになんやら補償金とかいってお金をかすめ取るカスはまったくのカスだとも感じます。 最近、テレビをみていて思うのは、ワイドショーや民放のニュースのやり方がもう少し気持ちのいいものにならないのかとやや不満を抱く。ニュースひとつであーでもないこーでもないと論評や社説を述べたい気持ちもわからんでもないけれど、民放のニュースは酷い。毎日が視聴率との戦いなもんだから放送内容は、その日の一番悲惨な事件をもってくる。一人の人の命の重みはみんな平等なのに、同じ日に子供が虐待されて殺されても、一人の人間がみずから他国に行って人質になったということを延々と放送し、殺された子供の放送はなかったり、それで、いざ人質がころされたら次はもとにもどして数日前の虐待の事件。見てる側も仕方なしに見せつけられるのがテレビという存在でもある。いやなら見なければいいは通用しない。民放といえども国の許可を得て、貴重な電波を使って日本の国民に情報を発信しているのだ、ひまさえありゃテレビみてる人も多いのが日本人のほとんどだ、なんなら、テレビの内容ひとつで、その一日の日本人の気持ちをコントロールすることだってできる。 震え上がるような凶悪な事件があれば、われ先へとマスコミは被害者宅へ乗り込むし関係者の気持ちもつい知らず、面白半分にインタビューをする。何が報道だとおもわせるような時間の配分だ。くだらない論評を重ねるばかりで、事件の予防になるような社会づくりへの提案はほとんどない。犯罪心理をあばき、その犯罪者の社会環境にどう問題があったのか?罪を憎んで人を罰せずだ。最初から金持ちで幸せな家庭で両親に愛され自由に育てられ、慕われて、敬まれていきていけば、犯罪者になる確率はどれだけ低いだろうか?すべて犯罪は社会の責任であり、連帯責任があるとすれば、ひとりひとりが痛みを感じなければならないはずだ。テレビが他人事なら、みてるほうも他人事になってしまう。広告の収入を得て資料率をあげることで収益を得るテレビ局の構造が報道をゆがめているのだとしたら、まずはその構造を変えなければ、よいテレビ番組は作れない。時代がかわったなどと言い訳を並べずしっかりと見据えてやってほしいものだ。芸能人の幸せな話に時間を割くのはいい。楽しい話に時間を割くのもいい。だが、離婚だの、不幸だのスキャンダルをおいかけつづけて何が楽しい?そんなものは雑誌やオンデマンドで見たい人だけが見ればいいのではなかろうか?公共の電波に本人も嫌な思いをするような話を無理やり乗せてほしくない。 そんなふうにぼくは考える。 でも、そんなこと考えたって世の中かわらないのは知っている。ただそう思っているという事を知っていてほしい。それだけだ。
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