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(第三十一話)
(第三十二話)
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:チャン側の悪事は絶えないな。王妃になれたんやし、もうちょっとどっしりしとけば、これ以上さわがれずに済むのに。ってそれやったらドラマが進まんわな。しっかし欲とはおそろしいな。[[人格]]くらいの気持ちで生きればいいのに。って、自分は自分で何も感じない廃人みたいな生き方やけど。
 
:チャン側の悪事は絶えないな。王妃になれたんやし、もうちょっとどっしりしとけば、これ以上さわがれずに済むのに。ってそれやったらドラマが進まんわな。しっかし欲とはおそろしいな。[[人格]]くらいの気持ちで生きればいいのに。って、自分は自分で何も感じない廃人みたいな生き方やけど。
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===第三十三話===
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:で、結局三日ほどときを与えられたトンイ。ポン尚宮とガタイのよい女官とで懸命に原因究明にあたるが食糧にも飲み物にも違いが無いと言う。そして、食事のときに料理を運んできた女官が腕にやけどのようなけがをしていることにきづき、薬を塗ろうとするトンイであったが食事係は何も塗ってはいけない決まりになっていると聞く。そして食事係だけが何も問題が起こっていないことから、女官だけが使う塗り物に害のあるものがふくまれているとにらむ。そしてポン尚宮は化粧になんらかの毒が含まれていることの真相にあたる。持ち込んだ女官も判明するが、誰かの指示をうけたわけではないという。化粧売りの売り子までたどり着けぬなか、どうやらソリさんのいる妓楼でも同じ化粧で倒れるものが続出しているとのことから確信にいたる。が、トンイにあたえられた3日が過ぎたことから、チャン王妃に呼ばれてカムチャルブに尋問をうけることになるトンイ。ポン尚宮が捜索を続けるがどうやらチャン王妃の実家が関係しているところまではわかるが、解決にはいたらず。チャン王妃の実家の前でポン尚宮はチョン尚宮とチョンイムに出会う。時同じくして真相にたどりついたとみられる。だがそれ以上の事実にはたどり着けない。そのことを耳にしたイニョン王妃は、トンイを心配する。一方、宮廷ではトンイが釈放になる。ポン尚宮に尋ねるとまだ何も明らかにはなっていないという。そして、チャン王妃側の調査によって、化粧売りと関係していた女官が捕えられたとの情報が入る。チャン尚宮は狙い通りだった様子で、トンイにネニョンブのおきてと責任を教えたのだとのたまう。王様はけわしい表情だが何も言わない。じわじわとパンチを聴かせるつもりのチャン王妃。そしてトンイを呼びつけて、しかとこころえよ的な威圧もきっちりやる。手強い。その頃、シムウンテクが都にまで到着し、ソヨンギとチョンス兄も返って来るがうかない表情。そして王様はチャンヒジェを呼び出し清国からのセジャ承認の通達書が届いたと労をねぎらう。なんで?という感じのトンイ側?トゥンノンユチョのホンモノの証拠はただの紙くずになってしまったのかと、ガッカリする。
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:チャン王妃側の反撃がされる回となった。どこまでも悪いやつだという視聴者の印象を与えるドラマならではのパンチの利いた回となっている。まぁどうせ化けの皮がはがれちゃうのが定説なんで、それほどストレスを感じないけど、また明日以降のトンイの反撃が楽しみになる。よくできている。ちょっと昔の日本ドラマでの脚本でも王道だったやり方だ。最近の日本のドラマはひねりすぎていてワケがわからないことが多くなっていて、お年寄りにはわかりにくい。とくにコンピュータだのサイバーテロだの。携帯電話や情報機器を駆使したトリック。例の電車の時刻表トリックと同じくらい複雑になっている。見ている人の客層に適した基準の内容にしないと指示は得られない。半沢直樹のようなむかしからある銀行のような仕組みを使ったストーリーなんかは、わかりやすい部分も多かったのかもしれない。やはり、よいドラマというのは分かりやすさも重要だ。しっかりと物語をみていれば理解できるだけでなく、十分にドラマリテラシーを持ち上げたうえでややこしいことをやりこまないとより多い層へうったえかける内容にはなりにくい。子供から大人まで楽しめるドラマとは、やはり、わかりやすさが重要になる。最初から視聴率が高いドラマであれば、ややこしい部分を徐々に説明していけるが、そうでない場合には時間をかけてゆっくりと何度も何度もややこしい部分を解説してくれるような作りが求められるのかもしれない。だからといって、そういう単純なドラマを作るべきだと言っている訳ではない。客層をしぼって、脚本家のやりたいこと、漫画家のやりたいことをやればいいし、漫画家らの実写化ならば、その移し替えの中でわかりやすくする作業がなされることもあるのかもしれないが、基本的に創造するものの自由は必要だ。一部の人にしかわからないおもしろさというものもあっていいはずだからだ。売れるとはそのバランスをよく考えなければ得られないものだ。全てを得ようとすれば、世の中の法則をつかみつつ内包した作品でかつ創作者のやりたいことを詰め込めないと面白くはならないのかもしれない。王道路線にもどしつつ現代風や創作者の世界感を実現するというのが工夫のなされるところになると思う。でもテレビみたいにいったん視聴者が離れてしまうと取り戻すのが大変だという現実もわかってきたのだから、あらゆる手段を講じてドラマリテラシーを向上させなければ、難しさの含まれるドラマをより広い層の中で面白くしていくことはやっていけない。
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:ん?なんだこの今日の感想。道をそれすぎた。

2015年5月12日 (火) 00:00時点における版



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